富士山吉田口3合目から4合目、5合目へ
富士山吉田口3合目です。建物があるものの、使われていません。
道を挟んだ反対側にはベンチもあります。しかし、テーブルは倒れていました。
ベンチもやや不安定です。
3合目の標高は1840メートル。2合目の標高は1700メートルでしたから、140メートル登ってきたことになります。
朽ち果てた建物。周りはロープで覆われています。
本来であれば、この辺りにトイレがあるとのことですが、やはり閑散期だからか、トイレが撤去されているようです。馬返しのトイレもありませんでしたので、5号目までは我慢が必要です。
こちらも後ほど調べたところ、馬返しのトイレと同じく6月から10月までのトイレ設置とのこと。
3合目の場所で少し休憩し、食事を軽くすませ、そして数分後に出発です。
この3合目を少し行くと、再び橋があります。
橋を越え、どんどんと進んでいきます。
25分後くらいに4合目の大黒天に到着。この辺りから、手持ちの登山マップと合目の位置が違ってきます。説明板にも江戸時代には3号5勺と呼ばれていたと記載しています。この辺りが手持ちのマップとの違いの要因のようです。
石碑があり、お供え物なども。
そのまま先に進んでいきます。
途中、ハンカチが落ちていました。こうした落し物もゴミとなるため、登山をする際は落し物をしないように注意したいものです。
ところどころ石が敷き詰められた道も。
どんどん進んでいきます。
4合5勺の御座石には4合目の大黒天から20分後に到着。
すぐ脇に巨石が切り立っています。
そして建物も。文字がうっすらと見ることができ、そこには5合目焼印所と書いてあります。書いてはあるものの、開いてはいないようです。昔の焼印所とのこと。焼印所とは、たぶん木の棒「金剛棒」を持って登っている時に、その棒に印をつけてもらうことだと思います。富士登山中の山小屋などでも、この焼印の有料サービスを行っています。
標高が高くなっていることもあり、徐々に森林限界に近付いていることもあり、木々の高さが低くなり、遠方を拝むことができるようになってきました。
焼印所の脇の方から先に進みます。
石で舗装された道を進みます。
そして富士山吉田口5合目の中宮に到着。
少し進むと建物が見えます。
ここも朽ち果てた建物で、建物の中に土砂が入っています。
さらに進んでいき、再び石柱で覆われた場所に到着。
目の前にはアスファルトの道路が見えます。ここは自動車が行き交う場所です。自動車やバイクが入ってこないための石柱です。
この辺りで雨がパラパラと降り始め。レインウェアを着ようか、ザックにレインカバーをつけようか迷いましたが、とりあえずそのまま進むことに。ザックの中にノートパソコンが入っていたので、どしゃぶりになると少々困ります。
山頂方面もようやく見えてきました。
一度アスファルトの道路の上に上がり、道路を登っていきます。
周囲を眺めながら道路を登ります。
木々の隙間からは街並みも。
再び登山道がありましたので、その場所から上に行きます。
鳥居と社が。
この辺りはしっかりと舗装されているので、歩きやすいです。
再び道路との接合点が。
道路は封鎖されているようで、通行止めのマークがあります。登山道はこの道路とは違う場所にあるため、登山道から上に。
そして5合目のマークを発見。標高2305メートル、4合目がどこを指すのかわかりませんが、手元の地図では2010メートルが4号目とのことなので、300メートル近く登ってきたことになります。
4合目の大黒天からと考えると、1時間ほどで到着です。